ちなみに晶子には、白萩の君と呼ばれていた。
女性の誇りであり、女性の心であり、思いであり、魂であり、いのちであり、そして「恋」の思いの象徴またはそれ以上の何かなのです。
ここでグッと読者の心をつかみ、その後は対照的に流麗な調べで、一気に結句へとなだれてゆく。
欲をいえば、ここをスマートにおさめたい。
その問いかけの部分を大事にして、会話調の文体で訳してみた。
「髪が乱れる」とは、「心が乱れる」とほぼ同義だとも思え、「みだれ髪」というのは、古典的な「戀歌」の伝統的意味では、「恋故に乱れた髪・我が心」という意味になると思います。
『みだれ髪』は、与謝野晶子が亡くなった後も彼女の代表作として生き続けました | 1987年、茨城県生まれ |
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二十という具体的な数字は効果的なので、このまま使おう | その歌を見る相手が、同時に恋愛の相手であることから、おのずから歌も良きものとしようという鍛錬がなされ、歌を読むことでまた恋慕の意思も確固たるものともなったと思われます |
古語辞典で引くと、「かつ」には現代語とは少し違う、複数の意味用法があります | 私は先の議論が起こった際に、それより問題は、本来の『みだれ髪』自体の中に、口語短歌に向かう、ある種の美しい混乱があるのではないかと指摘した |
(ひえ~赤顔~) 「人の子の恋をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願い」 こちらも俵 万智さんの口語訳から <恋に恋する若者のくちびるに 毒ある蜜を塗ってやりたい> 乙女チックに恋に恋する若い女の子に、人を愛するってそんなに甘いもんじゃないんだよと、経験豊富な姐さんが言ってる感じですかね | 日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan• 挽歌といっても、ほとんど相聞歌と呼べる内容だ |
君さらば巫山 ふざん の春のひと夜妻 またの夜までは忘れいたまへ 読み:きみさらば ふざんのはるの ひとよづま またのよまでは わすれいたまえ 現代語訳 さようならあなた | なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな この一首も、人口に膾炙した、私自身も大好きな歌だ |
何をかくそう私自身が、二十歳のころ手にとって、「ええっ」と思った記憶がある | 小説と同様に短歌もまた、言文一致、近代化の波に翻弄(ほんろう)されていた |
「 この気持ち、わかるぅ」 「 縛りたがる男って、ペアルックを強制したりするんだよね」 「 こんなふうに言えたら、爽快だナ」 と盛り上がる女の子たちが、必ず最後に口にしたのが次の一言。 「 ところで元の歌、どういう意味?」 | この歌は、元の歌にこだわっていては、なかなか埒があかない例の典型だった |
着物を比喩に使って、一人の男に束縛されるのではなく、 誘ってくれるなら新しい恋愛にも身を投じようという、高らかな宣言…… | 本物の恋は数ではない 十二人の子どもを生んだ、ということもさることながら、 節目節目の魅力的な歌集というのが、鉄幹への思いに支えられている |
結論をいえば、彼女は死ぬまで鉄幹を愛しつづけた | 現代風にいえば、不倫・遠恋(遠距離恋愛 ・三角関係の三重苦を乗り越えての恋の成就である |