淀川 長治。 ホテル住まいと独身と〜淀川長治さんの生涯に思う〜

この世に「さよなら」した彼が、死の直前に遺した言葉もまた、その人生を総括したような、実に淀川長治らしい言葉でした。 それは、映画の見方や、作品の意図を、分かりやすく温かく説明してくれるものでした。 ドライビング・ミス・デイジー• (昭和57年度):(『淀川長治自伝』)• 昼間をぐったりとごろ寝しながら過ごしたので、エネルギーが溜まってきた夕方から横浜に出張って、お買い物をしたり。 また、実弟の敏治の下宿の近くだったことから、ときおり「不思議だね、弟が暮らしていた東京の下宿も、このホテルの近くなんだ。 ヒクソン・グレイシーに落ちて、その直後に引退宣言したのが船木の奥行きをつけたのだろう。
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なお、敏治の自殺について触れるようになったのは晩年になってからである。

インタビューの内容は差別に反対する立場で貫かれていたにもかかわらず、部分的に不用意な発言がから問題視され、秋から初頭にかけて3回の糾弾会がおこなわれた。

糸井 この人がいなくなったのは 大きいかもしれないですね。

その葬儀に出席した淀川長治は、「僕もすぐに行くからね」と言い、その言葉通り、約2カ月後の11月に倒れます。

岡田喜一郎『淀川長治の映画人生』中央公論新社• 以前、自著について語る「自著本談」という企画、千夜千冊をぼくが朗読しながらところどころ解説する「一冊一声」という企画をネット上でしばらく続けたことがあるのだが、世間でもこういうものがもうすこしあってもいいのではないかと思う。

中学時代、「映画ばかり見ずに数学の勉強をしろ」と説教した先生に、「公開中の『ステラ・ダラス』を観てからそれを言って下さい」と抗議し、先生が数人で劇場に足を運んだところ、感動的な自己犠牲のラブ・ストーリーに一同はむせび泣き、以降は学校行事として映画を見に行くようになった。

我が道を往く• だが、手術に耐える体力はないと診断された。

奇跡の人• 一度、酒に酔ったまま解説した回があって、あの衝撃を今でもハッキリと覚えている。

それでもたいてい一冊には収まらない。

最近の一語りを読んでいただいても分かると思うが、映画が3度の食事と同じくらい大好きな私にとってはさんはすごく親しみを持てる人であるとともに尊敬する人でもある。

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